2015年12月27日日曜日

昔語り(3)

私の過去について適当に語っているだけです。興味のある方のみ続きをどうぞ。




NINTENDO64が発売され、私はゲームにより深くのめりこんでいたのですが、
その時に毎月購読していた、
電撃NINTENDO64」、略して「デンロク」。
この雑誌の存在が、私を深淵へと引きずり込んだのでした。

とはいえ、内容は概ね普通のゲーム雑誌です。
発売予定のゲームの情報だったり、新作ゲームの攻略情報だったりが載っている、
ごく一般的なゲーム雑誌、なのですが... ある一点だけが異彩を放つ雑誌でした。

それは「ゲームの素(ゲー素)」というタイトルの読者投稿ページでした。
上でリンク貼ってあるWikipediaでも特筆される程、異彩を放っていました。
内容は...まぁ一言でいえば「マニアック」に尽きます。任天堂雑誌なのに
他社ハードネタも普通に掲載されていたり、もはやゲームに関係ないネタですら
さも当然の如く拾われるという、まさに混沌。
この読者投稿ページの担当ライターであった中川大明氏は、今でも尊敬する人の一人ですね。



ゲー素によって、私はサブカル知識を身につけつつありました。
ちなみに、コミケの存在を知ったのも、ゲー素でしたね。
ある投稿ハガキのネタで、「コミケ帰りで紙袋の底が抜けて~」というネタで、
コミケとはなんだ?と思い、調べようとしたのですが、当時はまだPCを持っておらず
しばらくは意味が分からないままであったことを思い出します。
まぁゲー素読み続けてたら理解できましたけどね...


そして、ある日私は決断しました。「僕もハガキ職人になろう」、と...
ゲー素の空気に惹かれ、自分もそこに混ざりたくなったんですね。
ライターと投稿者の間だけでなく、投稿者同士のコミュニケーションもあって、
ある種のコミュニティを形成していたように思います。
それが子供心に、ずいぶんと楽しそうに見えたのでしょうね。

そしてハガキ投稿を開始し、いつしかほぼ毎月雑誌にも掲載されるようにもなりました。
けれど、思っていたような投稿者同士のコミュニケーションは図れず仕舞いでした。
当時の私はそんなこと気にせず、掲載されることを喜んでいただけでしたが...
当時、Windows95が発売され、パソコンが爆発的に普及し始めていた時期だったので、
実は、投稿者同氏はネット上でコミュニティを形成していたのですね。
私はもちろんPCを持っていなかったので、そのようなコミュニティを知ることもありませんでした。
...PCを買うまでは。



ハガキ投稿を続けているうちに、いつの間にか中学生になっていました。
この頃は、まぁ語れることはいろいろあるのですが、
本筋から外れるので別の機会に語らせていただきます。

中学生になった私は親に進言したのでした。パソコンがほしい、と。
親は言いました。「athenthの貯金を使って買うなら、許可する」と。
小学生の頃は、毎年のお年玉をずっと貯金していたので、15万くらいの貯金がありました。
それを使うか、否か。決断を迫られました。

私はパソコンの購入を選択しました。
最初に購入したPCは、富士通のFMVだったと記憶しています。
OSはWindows98、CPUやメモリ容量は不明、HDDは4GBくらいしかありませんでした。
これが当時のPCの平均的なスペックだったのでしょう。
親に頼み込んで、インターネット契約もしました。ダイヤルアップ接続だったので、
接続中は電話が使えないこともあり、1日1時間の制限がかけられました。

それでもインターネットは新鮮で、当時の私はかなり嵌ってしまいました。
おもにゲームの掲示板などに張り付いて、情報を漁っていたと記憶しています。



そして、ある日ふと試してみたのでした。「ゲー素」と検索したら何が出てくるのだろう。
そして見つけたのでした。よく知っている投稿者の方々が集まっているコミュニティを。
投稿者の方々は、それぞれ個人のホームページを持っていて、
自分が書いたイラストを載せ、互いの掲示板でコミュニケーションを取っていました。
それはもう、見ているだけで楽しかった。気に入ったイラストはひたすら保存していたし、
印刷して飾っていたりもした。この頃もなかなかに痛い...

そして、意を決して、とある掲示板に私は書き込みました。自己紹介と、
ゲー素に投稿していることを。あと、このコミュニティに参加したいことを仄めかしつつ。
...驚いたことに、何人かの方々が私のことを知っていました。ハガキ読んでますと言って下さいました。
そして、割とすんなり歓迎されたのでした。
以後ずっと、私はこのコミュニティで活動を続けています。



この時に出会ったのが、私の師匠にあたる方々です。
殆どが大人の方で、社会人や大学生、少し高校生といった方々で、
いずれにせよ、当時の自分からすると、年上の方々ばかりでした。
というか、むしろ中学生の私がイレギュラーでしたね。
義務教育も終えていない子供が入ってきて、かなり迷惑をかけたんじゃなかろうか...

続きます。

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