唐突ですが、ひとつ、私の人生を振り返ってみることにします。
いかにして今の趣味を持つまでに至ったか、を中心に。
昔語りなので、できれば時系列順に語っていきたいところですが...
私が思い出せる最も古い記憶は、幼稚園に通っていたころです。
なので多分3~6歳頃ですね。それ以前は流石に記憶がない。
その頃の私は...というか今もそう変わらないのですが、内向的な性格で、他人と話すことが苦手でした。
家族や、数少ないともだちを除いて、まともに会話をしていなかったような気がします。
アルバムを見返してみると、一緒に遊ぶのも女の子との方が多く、どちらかといえば
外で遊びまわるよりは部屋の中で絵を描いてたりままごとをすることが多かったようです。
その割には何故か怪我ばかりしていた気もしますが...
確か、5歳の時に幼稚園の体育の時間か何かで、馬跳びをしていた時に失敗して転倒して
左腕を骨折しました。その時の記憶だけは鮮明に残っていたりしますね...
記憶というか、痛みが思い出せる。あれは痛かった。
...ああ、話が逸れました。
少ないとはいえ友達がいたので、互いの家に親に連れられて遊びに行くことがあったのですが、
その友達の中のひとり、確か名前は"たくや"君だった気がしますが、
彼との出会いが私のオタク人生の始まりだった気がします。多分...
彼は幼稚園児にしては珍しく、ファミコン (ファミリーコンピュータ)を持っていて、
私は彼がゲームを遊ぶ姿を横で眺めていました。2人用のゲームは、たまに遊ばせもらいましたが、
基本的には見ているだけだったので、自分もファミコンが欲しいと子供ながらに思いました。
多分親にもねだったのでしょうが、当時はTVゲームに対するマイナスイメージも大きかったのでしょう、
買ってもらえませんでした。
...そこで私は何を思ったのか、ファミコンを買ってもらえないフラストレーションを
絵にぶつけていたようです。
当時、私が描いたらしい絵が残っていたのですが、なんか、マリオの横スクロールのステージっぽい
絵を描いているんですよね。スタートからゴールまでの障害物や足場などを書いて、
そこに棒人間のような何かが歩いているような絵が、アルバムに混ざってました。
よっぽどTVゲームやりたかったんだなぁ、当時の自分。
それと、余談にはなりますが、どうも気難しい子供だったようで。
アルバムになんか破られた絵も混ざっていたりして、なんだこれ、って感じなんですが、
思い返せば、自分で破っていたんですよね...描いている絵を他人に見られるのが嫌だったらしい。
絵を描いていれば周りの子供が興味を持って覗いてくることもあるでしょうが、
見られたくなくて、折角描いたものを自分で破り捨てていました。記憶に残っています。
まぁそんな感じで子供のころから絵を描いたり、ものづくりが好きだったようです。
TVゲームのようなサブカルチャーにも興味深々だったのですが、親の教育もあって、
しばらくは触れる機会も少なかったのでした。
小学校に進学し、学区の違うたくや君と遊ぶ機会の無くなった私は、
ゲームやりたい欲が増す一方でした。ただ、理由もなくTVゲームを買ってもらえるはずもなく、
解禁されたのは、小学1年生の誕生日でした。確か買ったのはこれ。
しかし肝心のゲーム機本体がない。当然遊べない。なにやっているんだ...
翌年のお年玉でようやくスーパーファミコンを購入し、遊べるようになったのでした。
でも、「ゲームは1日1時間」という親との約束もあり、この頃はまだ健全でしたね。
とはいえ、この時点で知らず知らずのうちに深みにはまっている気がしなくもないですが。
一方で、小学校でも私はやはり内向的で、友達を作るのに難儀していましたが、
そんな中で友人になった"康太郎"君に教えてもらったのが、"漫画"でした。
紹介されたのは、今でも忘れない、これとこれ。よりによってこの2つである。
当時、私の周りで流行っていたんでしょうね。
私も大いに影響され、小学3年生の頃、何故か漫画を描き始めたのでした。
これが私の同人活動?の始まりであった...いや違うか。
続く!
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